流儀
二天一流は、流祖・新免武蔵藤原玄信(宮本武蔵)が江戸時代に創始した兵法です。
武蔵は、實手や二刀などを主とする當理流の使い手だった父・新免無二斎の教えを発展させて円明流を名乗っていましたが、晩年、右手に大刀・左手に小刀の二刀を用いた兵法「二天一流」を確立し、その兵法理念を「五輪書」等に書き残しました。五輪書の文中では、二天一流のほか二刀一流という名称も用いられています。
二刀剣法を取り入れた流派は、武蔵以前にも存在していたようですが、二刀による片手剣術に特化し、その心法・刀法から戦術論等に至るまでを体系的にまとめたものは、五輪書に記された二天一流が初めてと言われており、二刀剣法を現代に伝える流派の多くが少なからず二天一流の影響を受けていると考えられています。
二天一流は、武蔵の弟子である寺尾孫之丞勝信と寺尾求馬之助信行に相伝され、その後、熊本を中心とした全国各地で継承されてきましたが、後継者を得られずに断絶した系統も多く、現代では、二天一流山東派、野田派二天一流、新免二刀流の3系統の流れを汲む教えが伝えられています。
宮本武蔵
宮本武蔵は、江戸時代初期の剣豪です。武蔵の生涯については、現存する資料等から明らかになっていない部分も多く、その生涯については諸説あります。武蔵の前半生については特に不明確で、出自については、天正10年又は12年(1582年又は1584年)、播磨(兵庫県)宮本村か美作(岡山県)吉野郡宮本村のいずれか...
五輪書
五輪書は、宮本武蔵が創始した二刀兵法「二天一流」について記した兵法書です。武蔵は、寛永20年(1643年)、60歳の時に熊本市近郊の金峰山にある霊巌洞に籠もり、亡くなる直前の正保2年(1645年)にかけ、これを執筆しました。武蔵が自筆した五輪書の原本は焼失したと言われており、熊本藩主細川家を始めとし...